日蓮宗「本経寺」 住職 吉田英昭

王地山稲荷社

奥の院として稲荷が祭られた王地山は「七尾七谷しぐれして紅葉色ます王地山」と篠山小唄に唄われ、町の東端にある独立丘である。人皇第五十代垣武天皇の御大、平安遷都に先立って、ここの地が王城候補地の一つに選ばれて、藤原黒智麿が勅命を奉じて検分に来たことがあり、以来その栄誉を伝えて王地山と呼ばれているという。今は王地山公園となっているが、公園の隣接地である山の西側(本経寺所有地)に、この山の鎮守たる王地山稲荷社の本殿・中殿・拝殿・社務所・眷属末社九社と、「まけきらい稲荷」が石の俵のうえに祭られた石社がある。

御影石の大鳥居の下に長い石段がある。一の鳥居から手洗いの場を経て、石段を登った初めの右側に、信徒休憩所の建物がある。京の清水の舞台のように山の斜面に縁下を櫓に組んで建てられた五間四面三十畳敷きの建物で文雅叢と名付けられている。明治四十四年の建築で公園を下に見て梅林桜花を見下ろす風雅な建物で、右端に子育鬼子母神が祭られている。勤請も定かではないが、現在九十歳の老人も子供の頃、稚児にして頂いたというから相当古いらしいが新しい信徒多く、十二月十五日の鬼子母神祭には三百人程の信徒が参拝する。

トップへ戻る