當山第19世日苗上人が餌を求めて境内に出てくる狐を世話していましたが、亡くなっているのを見つけた時、頭を寺方丈にむけて亡くなっているのを見て、「畜生ながら恩を忘れないものよ」と感心し、これ以来「稲荷参詣者にしっかり参道を上れるようお守りいたせ!」と言い、石段参道なかほどに祠をもうけ、おまつりを致しました。足・腰が丈夫に暮らせる御利益があります。
案内図子供さんの成育守護
子育鬼子母神さまで、子供さんの健やかな生育を見守り、厄災からお守りする守護神さまです。當社では鬼子母神稚児願いを受け付けています。鬼子母神さまの子供にしていただき、立派に成長して、社会に役立つ人となるようお守りします。その像は天女のような姿をし、子供を1人(末子の愛好とされる)抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持つ。
案内図昔は参詣者がお籠り修行をし、寝泊りを致しておりました。昨今は稲荷年間行事の休み所としています。その昔は文雅叢といい、茲で俳句や和歌を楽しむ集まりの会所でもありました。⑭の芭蕉の句碑はそのころに、この前に位置していましたが、現董日菖上人が神輿堂再建とともに稲荷本殿の右袖側に移しました。
案内図能勢妙見さんと同じ。當山第15世日現上人代に勧請されました。第22世日遵上人代に老朽化した御堂を再建され、今日に至っています。お姿は甲冑を身にまとい右手を受け太刀に構え、左手を金剛不動印に結んで岩上に坐したお姿で武人の姿であります。北斗を神格化したもので星の中の最尊とされています。海上安全・開運隆昌の御利益あり。人生諸事の先行きを開いてくれます。武運にも優れ、左脇には加藤清正さまの清正公大神祇がまつられ、右脇には芸能上達の弁財天さまもまつられています。
案内図能勢妙見山の分社 学問の守護神
京都洛北の常照寺は江戸時代には日蓮宗の僧侶の学校である鷹峰檀林がありました。亨保年間のこと、学寮に智湧(ちゆう)という年老いた学僧がおりましたが、当時山内にしばしば奇瑞(きずい)(不思議な出来事)がおこり噂となり、日頃から何かと常任と異なる智湧をいぶかった、学頭の空妙院日善上人が、ある夜その部屋を覗いたところ、一匹の白狐が一心に勉強していました。すがたを見られた白狐はやむなく檀林を去り摂津の国、能勢妙見山に登って常富惣五郎と自称し修行を重ねられた。
案内図(當稲荷社では交通安全の守護神として勧請しています) 岡山県 最上稲荷七十七眷属のひとつで、當山第十九世日苗上人代に分社祭祀されました。第二十二世日遵上人の祖父母、堺市本教寺第二十二世日英上人と妙得法尼は厚く最上様の御信仰あり、妙得様は荒金天王様を感得され霊感すこぶる優れたものでありました。特に日遵上人と妙榮法尼様は毎年十一月には欠かさず信徒と共にご参詣され現当日菖もその意志を継続し参詣を続けています。日遵上人代には他に荒熊天王・朝日天王・荒金天王・三光天王・金吉天王、昭英天王・顕徳天王・妙得天王の御眷属も境内末社に勧請しています。
案内図當山第十九世日苗上人代に豊輿・穣輿の二台の神輿が取得され、毎年春季大祭に篠山小学校児童生徒達のかつぎ手によって、旧十七ケ町内を練行しています。現在は台車にのせ町内を巡行しています。神輿堂は昭和三十年代に老朽倒壊してしまい、神輿は長年本殿両脇に納められていましたが、現董日菖、信縁の皆様のご協力を得て、平成十六年に現在のところに再建し豊・穣の神輿を納ています。
案内図旧稲荷殿は現在の拝殿(前の部分)のみで瓦葺、後ろにずらりと小さな眷属末社がありました。 昭和三十年に中殿・本殿が新建立され、本殿は桧皮葺きで優雅なものであった。 桧皮葺きが老朽化し、當山第二十二世日遵上人代に老朽化した桧皮葺きの上に銅板を葺き、眷属末社も境内に新建立され現在に至っている。
案内図王地山公園が整備され、遊歩道(現董日菖上人 「王地山公園散策道 まけきらいの道」 と命名し、案内板など自費で作成)ができました。王地山公園ささやま荘の方から裏参道として参詣ができるようになり、観光の人々や散策散歩の人々も参詣になられるので日菖上人、表参道にあった手水水盤石を設置する。折しも西脇市の富田和志一氏の寄贈により水車を取り付け風雅なる手水所となる。水口は陶器製の「うさぎ」です。平成二十三年卯歳にとりつけたので、杓は丹波市成松のタナカ建築板金様の寄贈です。
案内図元は文雅叢(籠堂)の前にありました。明治・大正時代に文雅叢で和歌や俳句を楽しんで多くの人たちが集まっていたようです。文雅叢の縁の上側には奉納された歌板が現存しています。現董日菖上人、神輿堂再建のおり現在地に移設する。句碑の周りの杉苔は植雅造園の小山雅充さんの寄贈です。 「しばらくは花の上なる月夜かな」 満開の花。その上に月が上った。しばらくは月下の花見ができそう。 東京江東区亀戸天神境内にも同じ句碑があるようです。
案内図王地山公園散策道”まけきらの道”の癒しの空間の歩きはじめ口
現董日菖上人は京都哲学の道の往復約3,6kmを散策し、このような癒しの空間が王地山にもあるではないかと思惟し、早速 「まけきらいの道」と命名し自費で案内板を作成し道脇に設置する。歩き初めの木々の間からの「木漏れ日」は、気分を良くし、自然のありがたい森林浴ができます。この王地山公園散策道 「まけきらの道」をあるくと、年中、諸事まけることなく過ごせます。一度試してみてはいかが!
案内図郡家玉子橋のたもとに妙見堂があり近隣の信者さんたちで妙見講が行われていました。當山第19世日苗上人のころです。講中の18名の発起人によりおお題目塔が建立されましたが平成23年(2011年)講中がなくなり、郡家山本夫妻の願いにより稲荷殿境内に移建依頼あり、平成27年に第23世日菖、稲荷本殿真後ろに再建立する。
案内図